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「学校給食で出された牛乳は飲ませない」という話。

子供に学校で牛乳を飲ませない訳|自然食農家レストラン三心五観店主藤本傑士のさすらい田舎暮らし

そもそもが放射脳故の生物濃縮論に端を発しているのかなんなのか、その確信がどこからくるのかわからないが、根本を問いたい。

「自然とは何なのか。不自然とは何なのか」

乳製品を「人間が生み出しもの」とするならば、今日食卓に並ぶ様々な食材は、ほぼ全てが「人間が生み出したもの」だ。「火を通した食料」が自然に存在しているものか? 落雷で発火した樹木のそばに、たまさか生育していた野菜や動物ならば自然なのか。土器なら自然なのか。高度な化学を用いてコーティングされた鍋は不自然ではないのか。

自然食農家レストラン三心五観という店で出しているお食事の、「自然」とはなんなのか。そもそもが「自然農法」「自然栽培」というものは自分で定義した「自然」に寄るものではないのか。
どういった客観的な指標から、「自然」を定義しているのか。
それはコンセンサスを得ている概念なのか。ゴッゴルと同じものではないのか。

   ★

そもそもが。

「善か悪か」「0か1か」って判断しようとするのが、極めて人間とはかけ離れた、不自然な選択だと思う。

「絶対」なんてあり得ないよね。あるとしたら、あなたの信念だけだ。
(ただし、信念を持った人の考え方が変わる事例すら多く見てきているので、それこそが否定はできないが根拠のないものだ。)
こういう「デジタル思考」「原理主義思考」の人が、「人間らしさ」みたいな話を良くするので、本当に気持ち悪くなる。それって、人間らしさではなく、あなたの価値観の正しさであって、社会としては「わからね〜」んじゃないの? ……ということ。
そして。こういう原理主義的な人は、異論を唱える人を容認することはない。
「バトルしてもいいけど、無駄なので取り合いません」というスタンスが多い。

論理的な議論をしようという建設的な考え方の方が間違っているのだ。
根拠があなたの信念なのだから、それを変えられるかどうかなど、わかりはしない。
心で納得していたとしても、「納得できない」と嘯けば、客観的には拒絶なのだ。

いろいろな考え方はあってもいいのだが、少なくとも、その考えに至る根拠についてはちゃんと調べたいところだし、推論で利用した条件のひとつでも否定されたときは、振り返るだけの余裕が欲しい。
「なるほど」と常に言える心の状態を持ちたい。

不寛容な人の言論を見ると、反面教師として、無駄な人間など居ないのだなぁ、と常に感心するのである。

ありがとう、勉強になりました。

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